2014年05月04日

2014年05月04日

歴史(続編)

安産の神様

http://www.geocities.jp/shirakunii/

今を去る千七百年の昔、景行天皇の皇子(稲背入命)が、大和から当地(白國)へ下向された時に宮殿を構えて統治された。孫の阿曾武命の妃(高富媛)が出産のおり大変苦しまれ、命は白幣を山の峰に立て一心に、安産を祈願されたところ、このはなさくやひめ(木花咲耶媛)

http://www.genbu.net/saijin/inasehagi.htm

出雲国譲り神話において、大己貴神が御子神事代主命の意見を聞くため使者として稲背脛を熊野諸手船に乗せて遣わした。

熊野諸手船を「天鴿(はと)船」とも呼ぶためか、天夷鳥命と同神とする場合がある。


稲背脛とは、「諾否(いなせ)を問う足」らしい。

*稲背入彦と天鳥船(岩鳥船)
岩(伊和)の鳥船

(伊和神社)
http://www.genbu.net/data/harima/iwa_title.htm

下照(光)姫=高姫(タカ姫)の兄が

加茂(鴨)大神←加茂神社の祭神

>>下照姫(タカ姫)

売布神社

売布神社(めふじんじゃ)は、兵庫県宝塚市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。旧川辺郡米谷村(まいたにむら)の産土神。 正式には旧字体を用い「賣布神社」と記す。

祭神編集
下照姫神(高比売神)を主祭神とし、天稚彦神を配祀する。

一帯は物部氏一族の若湯坐連(わかゆえのむらじ)が拠点としていた地であり、本来の祭神は若湯坐連の祖である意富売布連[1](おおめふのむらじ)と見られる。

中山寺(安産祈願)

http://www.nakayamadera.or.jp/top.html
明治天皇の祈願

売布神社と中山寺はかっては、
神仏習合。

高姫(下照姫)の氏族が支配して居たから・・・

加茂(鴨)大神は山城(京都)

>>継体帝

http://www.ten-f.com/okinaga-to-keitai.htm

  孝元天皇の御子彦太忍信命の孫にあたる竹内宿禰の第三子石川宿禰が
  蘇我の大家を賜って大阪河内から移り住み、姓を蘇我と改めた

と伝えています。つまり自分達の祖先は河内からやって来たと謂うのです。果たして、そんな事が在り得るのでしょうか?宣化帝については、その直系子孫によって上殖葉王子(恵波王)-十市王-多治比古王と順調に家督は引き継がれ、七世紀から八世紀にかけ左大臣・嶋(624~701)、池守(?~730、大納言)、三宅麻呂(催鋳銭司)などの人材を輩出、朝廷内で一定の地位を占めるに到ったのですが、その一族の「姓」を冠した地域(丹南郡、丹北郡)が属しているのは紛れもなく河内の中央で、現在は堺市美原区となっている多治井の地には丹治比氏の祖神を祀る丹比神社(下左の画像)が鎮座していますが、主祭神は宣化でも継体でも、ましてや応神でもありません。なんと、そこで祀られているのは火明命(ほあかりのみこと)と瑞歯別命(ミズハワケ、反正帝)そして凡河内倭女姫命、大山祇命などの神々なのです。これは、どう解釈すべきなのか?管理人も些か面食らったのですが、一応、次のように理解することが出来そうです。

先ず主祭神についての疑念ですが、元々、河内辺りに勢力を持っていた尾張・物部系の氏族があり、その先祖(ホアカリ、ニギハヤヒ)を祀ったものだと考えれば良いでしょう。我々は、八世紀意図的に編集された記紀の記述内容を先に知った上で、各地に残されている伝承や個々の神社の由緒書きに接するので、ある種の違和感を感じてしまいますが、この河内・丹比の地においても、古くからの先住民としての「丹比」氏があり、その一族が大王家の勢力拡大にも大いに貢献した結果、王家の子弟の「育て親」のような役割をも担うようになり、遂には元々「臣下」の姓に過ぎなかった「名」を、王子たちが独立した時に公の姓として名乗る様になったのでしょう。また、丹比氏については第18代反正帝(336?~410)との繋がりを強調する傾向がありますから、宣化帝の子孫が直接支配するようになる前から、反正帝の河内丹比宮の伝承地等を管理する役割(名代の管理か?)を負った丹比一族が居たとも思われます。(もっと単純な見方をすれば、元々その土地に根ざしていた土着の大小豪族が大王家に服従した結果、土地も名前も奪われたのだと考えられます。河内は物部氏や大伴氏の支配地でしたから、彼等の資産が全て接収された訳です)では、その丹比氏とは、一体どのような一族だったのか?黒姫山古墳が我々に事実を教えてくれます。

>>河内(大阪)
元々、物部系の大鳥連(大伴・中臣)
が支配⁇・・・海の民系。

四天王寺=聖徳太子(蘇我馬子⁇)

→継体帝は陵墓をヤマト地方では、無くて〜淀川東岸
その棺は阿蘇のピンク石で作られている(水運で運び易かったから⁇)

陵墓(古墳)を作ったのが〜ヤマト勢力では、無いから・・・(涙)

>>その当時のヤマト地方が
「豪族間の権力争い→戦争」
国が疲弊☻

文化人・知識層・技術者が〜
周辺国へ・・・

政治の刷新→大化の改新‼︎→遷都。
の流れ・・・


>>3種神器
「国造(国守)、大臣、大連」を統率する象徴→国王(天皇)

三角鳥居。三角柱鳥居。三人官女。

イザナミ(伊邪那美)は死んで(系譜が途絶えて〜)
8つの雷神(氏族)を残した。
















  

Posted by ポチ at 11:00Comments(0)⑥雑記 (1,207)▼