2014年05月11日

周王朝(呉・越)祖先

歴史に興味無い人は、スルーして下さいね m(_ _)m

中国南朝 系
http://kamnavi.jp/ny/nyutu.htm

 周の後に春秋時代と呼ばれる時代となった。江南には越と呉の強国が建ち、相争う事幾たびにも及んだ。呉は太伯、越は禹の苗裔で夏后帝少康の後裔と称した。ともに「夷」であるが「華」の後裔を称した。

http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/himiko.htm

卑弥呼

邪馬台国東遷説

天照大神以外の3人は、大和朝廷に関係ある人物であるから、これらの人々に卑弥呼を想定すると、邪馬台国は大和にあったことになる。
しかし、天照大神と卑弥呼が同一人物であるとすれば、卑弥呼のいた場所は、大和ではない可能性が高い。天照大神は、大和ではなく、高天原(たかまがはら)にいたからである。では、高天原はどこかということになる。そこが卑弥呼のいた場所になるわけである。 古事記や日本書紀は、高天原にいた天照大神のあとを継いだ神武天皇が日向を発ち、大和に入り、大和朝廷を打ち立てたことになっている。
邪馬台国九州説及び邪馬台国東遷説はこれを出発点としている。

*中国 周王朝系だから・・・
魏志倭人伝(中国 王朝に使者)

丹生都比売命は下記の地域に祀られていない。
 南九州、福岡、山陰、愛媛、大阪、東日本の大半。
 天孫族の勢力、物部氏の勢力、出雲の勢力の大きい地域には別の金属採掘の一族がいたのであろう。

 呉越は往古より倭国とは交流があり、倭国には金や水銀の鉱脈が露出しており、また住民は穏やかな人々である事が知られていた。

九州上陸
 南九州に上陸、姉の大日女姫はこの地に伴侶を得てとどまり、後に天照大神と呼ばれる女神の原型となった。狗奴国の狗は呉(gu)であるか。
 妹姫の稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、すなわち丹生都比売神の原型となった。 稚日女姫を奉戴した一族は熊本の八代や 佐賀 の嬉野で水銀鉱脈を見つけ採掘した。

**
 幾星霜を重ね、丹生都姫と一族の後裔は、鉱脈が尽きつつある中で、耕地開拓にも従事し、 紀ノ川流域 だけではなく、 有田川 、日高川流域の採取と治水につとめた。このあたりでは、金属採取より国土開拓の神としての丹生都比売命を祀る神社が多い。
 鉱脈が尽き、一部は 播磨 に移動した。

水銀を求めて更に東へ
 丹生都比売命を奉ずる人々は、 三重 、 岐阜 、 長野 、 静岡 、 千葉 、 群馬 へと鉱脈を求めて移動していった。

**
日本独特の
朱(ベンガラ紅)の棺・石室‼︎
円形墳墓⁉︎(上円下方墳墓)

 丹生都比売命は「海」の文化圏の出自である。紀氏はその古墳からの馬冑の出土からも判るように「馬」の文化圏の氏族である。紀氏の祖は天道根命とされているが、大名草比古命をその四世の孫としている。この命は 日前宮 を今の社地に遷座し、 伊太祁曽神社 を山東に追いやったとされる。

また、住吉神との関連も多いようである。筒香の地名、 伊達神社 と住吉大社との関連もある。*1
「住吉大社神代記」に紀伊国伊都郡 丹生川上天手力男・意気続々流・住吉大神とある。住吉大社神代記は平安前期以降の偽書とされているが、 その中の丹生川の川上には丹生都比売を鎮め祀った藤代の峯があるとされている。 富貴村筒香の地では「つつ」が住吉を連想させるが、赤土の地で水銀や褐鉄鉱が出ていたようである。この地で鉄を取っていた船木氏が播磨へ移る際、丹生都比売を奉ずる人々も播磨へ遷って爾比都比売を祀る人々と合流したとも思われる。

>>>日本武尊の母系(母系集団)
=周王朝系(明石の鯛)
多井・太井・多伊・田井
(母系)
中国 南朝〜百済系・・・稲作・海
(父兄)
中国 北朝〜新羅系・・・騎馬民族・武神




  

Posted by ポチ at 23:25Comments(0)

2014年05月11日

猫付きマンション σ(^_^;)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140511-00000003-mantan-ent

放送が済んでしまいました
m(_ _)m

とうとう〜ここまで・・・・
  

2014年05月11日

新羅国(朝鮮半島)祖先

昨日、NHK教育TVで

((北九州 船原古墳))

http://www.rekitan.co.jp/styled-2/styled-20/blog-2/files/05c27bb0c1c4a62b36d07052d591a192-14.html

新羅(白)国系 騎馬民族

最近は、「黒田官兵衛」ゆかりの神社

白国神社
http://kamnavi.jp/en/harima/sirokuni.htm

広峰神社
http://kamnavi.jp/it/kinki/hiromine.htm

→騎馬武者、白の旗印。
関東武者など〜後々、源氏の母体。

((牛頭天王))八坂神社
京都
岡崎神社

http://kamnavi.jp/it/kinki/okazaki.htm

 『二十二社註式』には、播磨国明石浦に垂迹した牛頭天王が同国広峰に遷り、それより北白川東光寺に入ったと見え、元慶年中(877-885)にここより(祇園)感神院へ遷し祀られたとある。 

http://kamnavi.jp/yamasiro/fujinomori.htm

 紀氏の祖神を祀ると伝わる。すなわち紀氏は秘密系図では素盞嗚尊からとなっており、奇しくもここの祭神が雄弁にこれを物語る。
 蘇我氏の権勢の強い時代、この地を本拠としていた紀朝臣家はその風下にたっていたが、新興勢力の秦氏を押さえていたようである。 大化の改新で蘇我氏の勢いが削がれで、紀氏も下降線を辿った。いつの間にか、この一帯は秦氏の支配する所となり、藤森神社の社域の伏見山には稲荷神が勧請されていたようである。 社地をかすめ取られている。しかし、氏子までは取りきれず、現在でも伏見稲荷神社の近辺の住人の氏神はここ藤森神社である。

 古伝によれば、中の座には「鉾神、剣神、神功皇后、崇道尽敬皇帝(舎人親王)、崇道天皇(早良親王)、が祀られていたと言う。 「鉾神」とは何であろうか?天日矛であろうか?紀氏が紀の国で齋祀る日前國懸神宮の國懸神の御神体は日鉾の鏡と言う。 おそらくはこの神を祀ったのではなかろうか。なお、物部の祖の宇麻志麻手命も楯神社、鉾神社に祀られていた可能性もある。
 「剣神」、素盞嗚尊か日本武尊を連想させる。

>>平安京を造営の為

京都から、尾張へ

津島 牛頭天王 神社

http://www.genbu.net/data/owari/tusima_title.htm

(総社)
http://www.genbu.net/data/owari/kounomiya_title.htm

http://www.genbu.net/data/owari/oomiwa_title.htm


「なんじゃもんじゃ」の木も
濃尾平野で自生 (^^)

津島氏の祖先。

武人(武家)の象徴の日本武尊は
別格扱い⁇=熱田神宮。


>>スサノオ(素戔嗚)は海原を統治。

スサノオ=百済系王朝・・・
しかし、出雲の民は
「騎馬民族=新羅系・中国 北朝系」


大國主は「新羅系・中国 北朝」
→母系が海の民(百済、中国南朝⁇)




















  

Posted by ポチ at 18:10Comments(0)⑥雑記 (1,207)▼

2014年05月11日

富士山の噴火

http://sp.mainichi.jp/feature/news/20140207k0000m040096000c.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140510-00000077-mai-soci

噴火と原発

http://sp.mainichi.jp/select/news/20140429k0000e040168000c.html

http://sp.mainichi.jp/area/news/20140418ddp041040017000c.html

福島の原発も「安全」と言っていたと思いますが・・・☻

>>東京は難しいでしょうね(u_u)

直下型地震が来ると〜
高速・鉄道網が寸断・・・

普段でも〜慢性渋滞なのに・・・
第一、避難生活を送る〜支援住宅を人数分、作る時間と場所が無い‼︎

富士山の世界遺産に
東京オリンピックね〜 σ(^_^;)

まぁ世界中のニュースに流れるでしょう・・・一部はスラム街 ☻

私が生きて居るかどうか⁇




  

Posted by ポチ at 10:39Comments(0)⑥雑記 (1,207)▼