2017年08月03日

百済王族

<<若沼毛二俣王子>>

応神天皇の皇子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E9%87%8E%E6%AF%9B%E4%BA%8C%E6%B4%BE%E7%9A%87%E5%AD%90

国造[編集]

『先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が後裔として記載されている。
竺志米多国造 志賀高穴穂朝(第13代成務天皇)の御世に息長公同祖の稚沼毛二俣命孫の都紀女加を国造に定める、という。
のちの肥前国三根郡米多郷(佐賀県上峰町一帯)または筑前国夜須郡馬田郷・下坐郡馬田郷周辺(福岡県朝倉市一帯)に推定される[11]。

なお『古事記』では、上述のように若野毛二俣王の子の意富富杼王について
筑紫之末多君らの祖と記されている[11]。

<<百済  武寧王>>

武寧王(ぶねいおう、462年 - 523年)は、百済の第25代の王(在位:502年 - 523年)。『三国史記』百済本紀・武寧王紀によれば先代の牟大王(東城王)の第2子であり、諱を斯摩、
分注では隆とする。『梁書』では余隆、

『日本書紀』雄略天皇紀5年条では、加須利君(かすりのきし、第21代蓋鹵王)の子、名を嶋君とする。また、武烈天皇紀4年条では『百済新撰』の引用として、「いみ名は嶋王という。これは昆支王の子である。則ち末多王(東城王)の異母兄である」としながらも、
「今考えるに、島王は蓋鹵王の子である。末多王は昆支王の子である。これを異母兄というのはまだ詳しく判らない[1]」としている

{法隆寺}{広隆寺}⇒聖徳太子の関係した寺「・・・隆(=龍)」


<<百済  東城王>>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9F%8E%E7%8E%8B

『日本書紀』では、蓋鹵王の弟で日本に来ていた昆支の第二子の末多(また)とする。
『三国遺事』王暦では、名を牟大または摩帝とし、先代の三斤王の堂弟(父方の従弟)とする。
子に武寧王。

新羅との同盟(羅済同盟)を結ぶための使者の派遣も行っており、493年には通婚を要請して、新羅からは伊飡(2等官)[3]の娘が嫁いできた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%86%E6%94%AF%E7%8E%8B

また、『宋書』百済伝に、百済王余慶(蓋鹵王)が大明2年(458年)に宋に上表文を提出し、百済の将軍11名が宋から将軍号を認められているが、その中の征虜将軍の号を受けた左賢王余昆を、昆支王と同一人物とする説もある。

当時人質として日本に滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。」と記されている。

>>まぁ百済も大和国等を同じ「中国に朝貢していた国の一種」

百済から来た姫(母親)は人質かもしれませんが

応神天皇の孫やひ孫を人質と言うかどうか??


日本の皇位継承権は無いかも知れないけれど・・・

国造系、武将⇒源氏の棟梁=「征夷大将軍」(元は殷~周・秦の中国系)

http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo82.htm

>>天皇の送り名で「神」の名前が付いているのは
神武天皇・神功皇后・応神天皇の3名・・・

百済の武寧王=嶋君
蘇我馬子=嶋臣

http://rekishi-club.com/?p=5196

弥勒菩薩を譲り受けたのが「秦河勝」

百済から請来(しょうらい)した弥勒像供養のために、高句麗から招いた僧・恵便(えびん)に師事、出家し善信尼と名乗った。
彼女がまだ11歳のときのことだ。こうして日本初の出家者が誕生した。このとき、中国からの渡来人、恵善尼、禅蔵尼とともに、斎会を行ったと伝えられる。

 仏教の受け入れを巡る諸豪族の姿勢は、消極派が大勢を占めていた。


<<鶴林寺>> 

 兵庫県

http://www.kakurinji.or.jp/mainpage/top-kakurinji.htm

徳島県

http://www.yomiuri.co.jp/local/tokushima/feature/CO016251/20151121-OYTAT50027.html

<<司馬達等>>  坂田寺

http://www.bell.jp/pancho/asuka-sansaku/sakatadera-ato.htm

>>播磨の知識人や技術者に「教えを請う」⇒「強大な大和朝廷??」  (汗)

大和国の良い所と言えば「その謙虚さ・素直さでしょうか?」
やはり日本の原点の様な・・・??


でも「優しさだけでは~国や国民は守れない!」
武神が必要・・・(必要悪です)
世の中~善人ばかりでは無い!!

応神天皇系の文官=ハト派、武官(軍人)=タカ派。

古代の日本の指導者層は殆どが
「大陸から~移住して来た王族・皇族」  www
(D型の縄文系の濃い顔・・・でも色は白い)

「官僚の公家・農民が~弥生系の薄い顔」
⇒百済が滅亡してから~日本にやって来た百済系など・・・
まぁかなり朝鮮人や中国人との混血化。

>>聖徳太子も播磨の「鶴林寺で高麗の僧に(中国人?)~教えを請う。
司馬嶋も播磨で2年間勉強~百済に留学。
空海も播磨で勉強・修行していたと言う伝説が・・・

播磨のイルミナティー??  ((笑い))

当然、当時の事情は全く分りませんが・・・

<<気比神宮>>

http://www.genbu.net/data/etizen/kehi_title.htm

『古事記』仲哀記には、以下の記述がある。
建内宿禰命が、太子(誉田別命、後の応神天皇)を連れて、禊に訪れた時。
当地に坐した伊奢沙和気大神が、夜の夢に出現し、
「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」と告げた。

『日本書紀』垂仁天皇の条には、
意富加羅国の王子・都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)、
またの名、于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)が、
当地、笥飯(けひ)の浦に到着し、角鹿と名づけたとある。

都怒我阿羅斯等は、白石から生れた姫神を追って日本へ来たともあり、
その姫神は、比売語曽社に祀られている。
『古事記』・応神記では、天之日矛(天日槍)が、阿加流比売という
赤玉から生まれた姫を追って来たとあり、
都怒我阿羅斯等は、天日槍と同一視されている。

以上のことから、氣比大神は、海人族による朝廷への服従のシンボル、
特に、海の幸の献上から、食物の神霊を祀った神であったものが、
海人族を通して、半島との交流が盛んになると、
半島神へと、その性格を変えていったと見ることもできるだろう。


>>何かこの辺で
神功皇后~応神天皇や「三韓への出兵」
百済の武寧王の名前の秘密が有りそうなんですね??

蘇我馬子~「蘇我蝦夷&入鹿」

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_04_16.htm

だから「気比神宮??

越前=流刑地⇒「白山信仰??」

**どうもこの事件が「継体天皇~神功皇后・仲哀天皇~応神天皇」の皇位継承や
神功皇后の三韓征伐に影響している様な??

http://beaverland.web.fc2.com/oldhist/joe01.html

「中臣の鎌足」と「藤原不比等・天智天皇の謎」
そして、天智天皇が「日本書紀や古事記の編纂」

https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11241637655.html

藤原不比等は「蘇我氏系の女性と結婚しています。」
⇒蘇我氏の蝦夷・入鹿を殺した「中臣鎌足の息子ですよ?」
側室扱いなら「公家(貴族)には成りませんよね?」

藤原不比等=蘇我氏系の男子(蘇我入鹿の息子?孫?)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%8E%8C%E8%B6%B3

<<藤原鎌足>>



**朝鮮系(百済系)の官僚・・・確かに「少し長顔のような??」


そして臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜った。つまり、生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用い、「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる。青木和夫の研究によれば、鎌子から鎌足へと「改名」したというのは後世の解釈であり、本来の名は“鎌”一文字で、“子”や“足”は敬称に用いる語尾であるとしている[1]

645年、中大兄皇子・石川麻呂らと協力して飛鳥板蓋宮にて、当時政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやった(乙巳の変)。この功績から、内臣に任じられ、軍事指揮権を握った。ただし、内臣は寵臣・参謀の意味で正式な官職ではない。また、唐や新羅からの外交使節の対応にもあたっており、外交責任者でもあったとみられている[3]。

その後、大化の改新を推進しようとする中大兄皇子の側近として、保守派の左大臣の阿部倉梯麻呂、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂と対立した。647年(大化3年)の新冠位制度では大錦冠(だいきんかん)を授与された。649年(大化5年)に梯麻呂・石川麻呂が薨去・失脚したあと勢力を伸ばし、654年(白雉5年)頃には大紫冠(だいしかん)に昇格した。
669年(天智天皇8年)、死の直前に天智天皇が見舞うと「生きては軍国に務無し」と語った。すなわち「私は軍略で貢献できなかった」と嘆いているのである。
これは白村江の戦いにおける軍事的・外交的敗北の責任を痛感していたものと考えられている(なお、白村江の戦いが後世の長屋王の変と並んで『藤氏家伝』に記載されていないのは共に藤原氏が関与していた事実を忌避するためであるとする説がある)[3]。
天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。


**石川麻呂は「自殺」
中臣鎌足の息子は「出家~唐へ・・・(流刑??)」
中臣一族は「藤原姓を名乗る事は許されていない!」


**確かに「蘇我⇒藤原氏」に名前を貰っていますね!
鹿島神宮⇒「蘇我馬子=嶋大臣+入鹿=鹿島です。」
鹿がシンボルですね。

蘇我入鹿の息子~孫だから「気比神宮?!」

>>新羅系が北方系の騎馬民族=新羅(白)~源氏
百済系が海神族(朱砂)=赤色~平氏系

<<東播磨~丹波・丹後地方>>

(赤国神社)

http://www.genbu.net/data/tanba/akakuni_title.htm

法道仙人(赤国)~百済系??(中国南方系??)・・・海神族系

<<西播磨~但馬・出雲地方>>

http://www.geocities.jp/shirakunii/

牛頭天王・・・兵主神~八坂神社?
騎馬民族(神馬像)・・・新羅系(中国北方系)

(佐伯神社)

ご祭神は阿良津命といいます、孝謙天皇(718年(養老2)~770年(神護景雲4)の)御代(天平宝字2年)758年に命の孫の佐伯宿禰芸胡多という方が、お祀りになったのが創立であると伝承されています。佐伯大明神として祭祈されていましたが、天皇の思し召しにより佐伯姓を白國姓に改め白國宿禰となりました。ご祭神の阿良津命は、白國の地を開いた稲背入彦命の曾孫になります。

**弘法大師は「佐伯真魚」⇒「白国真魚」

(大歳神社)

第十五代應神天皇(5世紀)の頃から祭祈していたと伝承されています。第八十八代後嵯峨天皇(1220年~1272年鎌倉時代)の頃、飾東郡白國村の守護の武士(白國彈正左衛門)が、山の中腹に社を建立し、五穀豊穣(ごここほうじょう)等の農耕の神として、ことのほか崇敬し厚く祭祈したと伝えられています。以後、室町時代より現在までの約八百年間近隣の有志によって厚く祭祈されてきました。

**源氏の武家の方ですね。

<<伊和神社>>

http://www.genbu.net/data/harima/iwa_title.htm

左右の同型の二祠は、播磨十六郡の神々を祀ったもの。
右手には、西八郡の神々、
(多可・神東・神西・宍粟・揖東・揖西・佐用・赤穂)
左手には、東八郡の神々が祀られている。
(明石、美嚢、加古、印南、加東、加西、飾東、飾西)
さらに、左に五柱社
(天照皇大神・国底立大神・宇賀魂大神・猿田彦大神・須佐之男大神)

御祭神
大己貴神 配祀 少彦名神 下照姫神

>>天照が姉の大日姫
妹だから「下照姫」=稚日姫  www

こちらは多分、「呉の太伯系」
北陸は「越系??」
**呉越同船・・・

https://ameblo.jp/taishi6764/entry-11863325346.html


http://blog.goo.ne.jp/eigaku/e/e74ff9560954f6771276af718d0803ac

西日本で、白山信仰が普及しなかったのは、西日本の穢多村では、穢多・非人の職務について、規律と責任、近世警察官としての自負心を与える別の教説、浄土真宗の合理的な世俗化倫理が存在していたためでした。

次回(次項)は、徳山藩の「屠者」・「屠人」に関する資料を検証して、近世幕藩体制下の穢多・非人の役務の様相を具体的に考察します。次々回(次々項)に、穢多・非人に影響を及ぼした、浄土真宗の合理的な世俗化倫理を取り上げます。

>>武士は負けた方は「切腹・死刑~遠島、または降格(家臣)」
兵隊は負けた方は「奴隷」

関東の白山信仰??
大和タケルが東日本の「蝦夷」を「佐伯部(軍人)として組み込んだ。」
物部氏が保有していた奴隷を「蘇我氏と物部守屋の妹が財産として~山分け。」

蘇我氏は仏教派だから「奴隷は~寺院の労働力??」
でも元々、物部氏は山岳信仰だから・・・??








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