2017年08月06日

8月4日の記事

http://ameblo.jp/ici05876/entry-12145832555.html

⑧まず、朴氏初代の「朴赫居世」では、辰韓の六村の長の一人が、蘿井(慶州市塔里面)の林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵があり、卵を割ると中から幼児が出てきたので育て、10歳を越える頃には人柄が優れていたことから、六村の人たちは彼を王位につけたと。


⑫箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とし、長じて第2代南解次次雄の娘(阿孝夫人)の女婿となり、のちに王位を譲られた、と。  

⑬最後に、金氏始祖の「金閼智」では、脱解尼師今の治世時に、首都金城の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって瓠公に調べたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていた

カササギに鶏⇒「鳥」
馬が卵(ウ)・・・

㉙また、大阪医科大学名誉教授松本秀雄は、「日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く」で、
朝鮮民族は、相互移民や侵入などによって漢民族などの影響(混血)を受けていると述べており、実際、HLA遺伝子による調査で朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近いといわれています

㉚韓国人の母系に日本人の特徴が出ているのは、縄文時代に日本人が移住し生活していたが、
その後、北方民族や漢民族に侵攻され、被征服民の定めとして男は根絶やしにされ、女だけが生き残ったためと考えられます。


王族や皇族は「殺されたか?~日本に逃げた  !!」


中央アジアのスキタイ系?!騎馬民族。
武神系~国造系~武士(源氏)

聖徳太子=上宮⇒上(宮)様・・・上様
「源氏の君」
神君 家康

鷹狩り⇒「遊牧騎馬民族」の王族の「高貴な趣味」

「君の名は・・・」  「**君」


公家(百済系)
「**殿」⇒「殿様」

「関白 秀吉  殿下」⇒関白ですが「殿の下=臣」  豊臣・・・
ちらっと「藤原氏のプライドが・・・」  www

馬に乗れない~牛車や御輿
「舟遊び」⇒南方系の王族の「高貴な趣味」

>>今も昔も同じですよ。
中国と日本との間にある「緩衝地帯」
そして中国と日本を結ぶ「貿易の中継点」

関西地方では「応仁の乱」「源平合戦」以外~大規模な戦争は余り起きては居ない。
毛利氏が大内氏を滅ぼし~その勢力拡大を目指したぐらい・・・

上杉・武田~上杉・北条
織田・今川~織田・武田~織田・朝倉(浅井)


<<藤原不比等>>  

http://fushigi-chikara.jp/sonota/3583/

http://www.genbu.net/data/etizen/kehi_title.htm


『古事記』仲哀記には、以下の記述がある。
建内宿禰命が、太子(誉田別命、後の応神天皇)を連れて、禊に訪れた時。
当地に坐した伊奢沙和気大神が、夜の夢に出現し、
「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」と告げた。
さらに、「明日の旦、浜に幸すべし。名を易へし幣献らむ」。

翌朝、浜へ行くと、鼻の傷ついたイルカが浦いっぱいに集っていた。
⇒罪人とされた「入鹿一族」(流刑地)


屋船豊受気姫命は、延喜式に家屋守護の神と記され、 屋船久久廼遅命と共に信仰されている。また大殿祭祝詞に稲霊なりとあり、 「俗の詞に宇賀能美多麻といふ」とあって、宇迦之御魂神と同神とされる。

豊宇賀能売命は、丹後国の比治山の頂の真井に降った八人の天女の一人。
和奈佐老夫と和奈佐老婦が衣を隠したため天に帰れず、地上に留まり、 十年間老夫婦のもとで薬酒を醸して冨をもたらしたが、 老夫婦に追い出され各地をさまよって、奈具の村に鎮まった。

>>「推古天皇」を支えた「聖徳太子」
女帝を支え続けた「藤原不比等」

天皇家に蘇我氏の皇后
天皇家に藤原氏の皇后
⇒「母系集団の思想」

http://rekishi-club.com/?p=5196

翌585年(敏達天皇14年)、廃仏派の急先鋒、物部守屋に廃仏運動の、崇仏派に対する見せしめとして、彼女たちは法衣を剥ぎ取られて全裸にされ海石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市)の駅舎で鞭打ちの刑に処された。

>>神仏論争に~「女性を暴行する事を絡めた事」⇒「卑怯者~武人のする事か??」

これが物部守屋 VS  蘇我馬子(聖徳太子)

その意趣返しが「讒言による~蘇我蝦夷・入鹿・聖徳太子一族の殺害」

http://nihonshi.hatenablog.com/entry/battle-of-hakusukinoe

そして、「唐との白村江の戦い」で大敗 !!
百済滅亡⇒百済系の移民・・・

>>百済系の武人の讒言によって~蘇我本家を滅ぼした
文官の「中臣鎌足」では「百済を救えない!」

そして、百済民の流入・・・
名前を変えた「藤原氏の台頭」

<<弓削道鏡事件>>

://www.sankei.com/west/news/150403/wst1504030002-n1.html

女帝に「ハニートラップ」  (涙)

>>「仏の顔も三度まで・・・」⇒「蘇民将来伝説」

<<天武天皇>>

『日本書紀』と『古事記』の編纂は、天武天皇が始め、死後に完成した事業である。

http://historivia.com/cat4/emperor-tenmu/4549/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

名の大海人は、幼少期に養育を受けた凡海氏(海部一族の伴造)にちなむ。『日本書紀』に直接そのように記した箇所はないが、天武天皇の殯に凡海麁鎌が壬生(養育)のことを誄したことからこのように推測されている[2]。

天智天皇の死後、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、その翌年に即位した。その治世は14年間、即位からは13年間にわたる。飛鳥浄御原宮を造営し、その治世は続く持統天皇の時代とあわせて天武・持統朝などの言葉で一括されることが多い。日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られた重要な時代だが、持統天皇の統治は基本的に天武天皇の路線を引き継ぎ、完成させたもので、その発意は多く天武天皇に帰される[1]。文化的には白鳳文化の時代である。

>>百済の王子・新羅の王子と言っても「殆どが~日本出身」  www
また、当時の皇族・王族の母系は「朝鮮も日本も似通っている。」

つまり、当時の朝鮮の王族・皇族(両班)は殆ど~日本人と同じ遺伝子。
⇒両班と一般市民(朝鮮人)とは結婚不可!!
一般市民は「秦韓人」⇒その後、「中国~モンゴル(元)や清(匈奴)に支配されるまで・・・」

**日本は「漢・モンゴル(元)・清に支配されていない!!」
⇒日本人と朝鮮人の父系のDNAが違う理由。


>>逆に日本では「秦韓人の男を絶滅に近いほど・・・」  ((汗))
「女・子供に手を出すとは・・・」⇒「人に非ず=獣」
物部氏⇒佐伯部の軍人(兵隊)


結婚して「国籍や宗教や姓が変わっても~子供は子供、孫は孫」⇒DNAは変わらない   www








子供の時に、遊園地に連れて行ったり~お年玉をあげた「姪」には変わりはないですよ!
例え、結婚相手が貴族でも、農民でも・・・


http://www.huffingtonpost.jp/foresight/tenmu-tennou_b_5950426.html

強大な「大和王朝」  ⇒ 宇佐神宮に「皇位継承者のお伺いをする??」








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