2017年08月09日

8月8日の記事

<<百済と新羅>>

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/4322/yukari.html

http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E6%97%A5%E6%9C%AC/

武烈7年(505)百済王が斯我君を遣わして、調を奉って「前に調を奉った使の麻那は、百済の国王の一族ではありません。
ゆえに謹んで斯我を遣わして朝廷にお仕えさせます」という。その後、子が生れて法師君という。これが「倭君(やまときみ)」の先祖である。(和氏は姓氏録や日本書紀によると、6,7世紀にはなんの見るべきものはないが、和新笠が光仁天皇の夫人となり、桓武天皇を生んでから、急速に台頭する。
一族の家麻呂は帝の外戚との理由で、中納言に抜きん出られ、
日本後紀はわざわざ「蕃人(外国人)相府に入るはこれより始まる」と注記している。)

そして、驚いたことに99%継体天皇陵とされる高槻市の今城塚古墳から、三種類の石棺(二上山白石・兵庫竜山石・阿蘇ピンク石)が発掘されたのです。

http://sakuwa.com/yw-24.html

大和大国魂・播磨大国魂・阿蘇大国魂は同族。

http://www.genbu.net/data/higo/aso_title.htm

祭神健磐龍命は、まさしく阿蘇火山の神であるが、
この地方を開拓した阿蘇氏の祖神とされるようになったのだろう。

社伝では、健磐龍命は神武天皇の勅命を受け
山城国宇治から下向し、
先に下向していた日子八井耳(國龍明神)一家と協力し、阿蘇開発を行った。

>>桓武天皇&桓武平氏は「源氏(蘇我氏系)によって~滅亡。」  ((汗))

http://r-ijin.com/nakanoooeno-ouji-tenji-tennou/

天智天皇(中大兄王子)と中臣鎌足・・・天智天皇の官僚。

「百済滅亡」⇒百済国民の伽耶国(~倭国)へ移住。
百済系によるクーデター。

桓武平氏⇒「平氏でなければ~人に非ず。」 

<<天武天皇>>

http://r-ijin.com/nakanoooeno-ouji-tenji-tennou/

大海人王子⇒「海神族系(中国南方系)」

豪族たちを、力によって押さえつけるのではなく、身分を与えて支配したのです。

これによって、天皇の力は絶対的なものとなったです。


>>日本の古代豪族は殆どが「大陸からの渡来系(帰化人)」
物部氏でさえ、スサノオ~大国主・・・

そして渡来人でも
中国の朝貢国(属国)制度を支持する思想と
独立国としての地位を固めようとする思想。


今も昔も同じ・・・
中国とどう付き合うか??
 朝鮮半島をどうするか??   ((笑い))

朝鮮半島に関わると~ろくな事が起きない(疫病神)⇒「Kの法則??」  (笑い)
例え、教養があっても~人格や品位が・・・??  (汗)
「朝鮮半島に関わるな !!」⇒先人の教訓ですよ。
朝鮮戦争⇒日本は特需・・・  www

そして、その事を一番知っているのが「百済・新羅系・・・  」
「ヘル朝鮮??」⇒だから~右翼(皇室万歳)は、「百済・新羅系が逆に多いかも・・・?!」

中国華僑でも「中国共産党に酷い目に合わされた~日本の方がマシ・・・」
勿論、日本に酷い目に合わされたから~日本が嫌いな人も・・・

でもDNAの分布からは
「日本以外の東アジアに倭人(D型)はほとんど居ない !」

日本に移住して来たか?駆逐された・・・
「大陸で生き残るのが難しい ?!」

>>血統の違う(異人種)の天皇に成って~「元号が変わっても・・・国の名前は変わっていない」⇒「和国の所以??」=大和国
日本の文化が多様で奥深い理由かも??

伊勢神宮を見ると~ユダヤ人が「古代のユダヤの宗教に似ている。」
京都の街を見ると~中国人が「長安の都の様な??」
北方系~新羅国の騎馬民族の「流鏑馬や鷹狩」の風習を残している地域も・・・

文化や風習が違うから~建築様式も違うし~時代と共に変化も・・・


<<住吉大社>>

http://www.sumiyoshitaisha.net/

天孫族(山彦)と海神族の混血・・・
神殿も「赤と黒」

8月8日の記事


あまり詳しくは無いけれど・・・
「神社の鳥居」

北方系(新羅系)・・・白木
南方系(百済系)・・・朱色(朱砂?)
王神系(西域系)・・・石(石材加工)
楚系(揚子江流域)・・・青銅加工。


<<宇佐神宮>>

http://www.usajinguu.com/lineage.html

宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。
比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。

宇佐嶋(辛島氏?)

海神族は「良い漁場と安全な漁港」⇒陸上の領土や政治には無関心。
だけど、女・子供・老人のいる「村を守る強い豪族と結び付く傾向」

①穏やかな農耕民族・・・河口の平野部
②気性の激しい海神族・・・海彦
③自由気ままな狩猟民族・・・山彦
⇒三本柱鳥居??

<<神功皇后>>

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO86406480S5A500C1000000?channel=DF140920160949


 しかも各地の伝承は記紀の記述とほぼ一致。伝承地を線でつなぐと▽14代仲哀天皇に同行、熊襲(くまそ)討伐のため九州入り▽神の啓示後、天皇が急死▽皇后の熊襲討伐▽朝鮮半島の古代国家、新羅に出兵▽凱旋帰国、皇子出産――という古代の足跡をたどれた

 調査では、大和朝廷が自らの歴史を地方の民に押しつけた痕跡は認められなかった。
「土地を訪ねて見聞きすると、名もない民が記紀成立の以前から各地で伝承を守り継ぎ、今に伝えていた」。成果をまとめた書籍「神功皇后の謎を解く」(原書房)を13年に出版。「神功皇后は実在したと確信している」と語る。

 さらに▽華々しい戦に関わるものだけでなく、凱旋後に産んだ皇子にここで母乳を与えたなど、生々しい1人の女性像を表す伝承も多い▽仕えた朝臣の末裔(まつえい)を名乗る人が今も神社や寺を守っている――点も肯定理由になるという。

 妊婦が腹帯を巻き、神社に安産祈願する日本独自の風習。皇后を祭神とする長崎県壱岐市の神社、聖母宮(しょうもぐう)の83代目宮司、川久保匡勝さん(45)は「懐妊中に外征した皇后は石を帯の間に巻き、体を冷やして出産を遅らせた。伝承が広く伝わり、安産風習として定着した。神話の人物だったとすれば、これほど影響力を持つだろうか」と話す。

>>まぁネットで簡単に検索出来なかった時代には~困難だったとは思いますが・・・

「日本書紀や古事記」の神話の部分が~伝説とは思えませんね??
地方の伝承が「綺麗に繋がる事が多いから!!」

勿論、年代の間違いや
話を盛って(脚色)ある場合も有るとは思いますが・・・(ヒーローやヒロインだから) www

<<神功皇后に該当するモデル>>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B

武寧王の出生の話として雄略天皇紀5年(461年)条に、百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の軍君昆支を倭国に貢る際、
自身のすでに妊娠した婦を与えて、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と名付けて百済に送り返した。これが武寧王であるとしている

523年の武寧王没後、百済王を継承したのは聖王(余明)であるが、『日本書紀』は514年に百済太子淳陀が倭国で死去したと伝える。
武寧王の本来の太子は淳陀であるが、倭国で死去したために余明が代わって太子となったという解釈も可能である。
この淳陀太子がいつ倭国に来たのか記載はないが、武寧王は41歳に至るまで倭国で生活していたとして、淳陀は倭国で生まれ、そのまま倭国に留まっていたと主張する説がある。

桓武天皇の生母である高野新笠は、武寧王を遠祖とする渡来人系の和氏の出身という記述が『続日本紀』にあるものの、実際に武寧王の子孫であったかどうかは朝鮮側の資料から見ても不明瞭であるため、疑問視する学説もある(詳細は高野新笠の項目を参照)。新笠は皇后ではなかったが(皇后は井上内親王)、桓武天皇の生母として皇太夫人とされ、死後に皇太后と追贈された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E9%99%80%E5%A4%AA%E5%AD%90

『日本書紀』継体天皇7年(西暦513年?)8月項に、「百済太子淳陀薨」とあり、純陁と淳陀が同一人物ではないかと考える学者も存在する。ただし、朝鮮側の資料には武寧王の子として純陁、もしくは淳陀に比定できる人物が存在していない。

また、『日本書紀』武烈天皇7年(西暦505年?)4月項に、百済から遣わされた「百済国主の骨族」斯我君があり、
その子・法師君は倭君の祖とあるが、純陁との関係は不明である

**和氏と倭君  ((汗))

>>部寧王を産んだ母親が「神功皇后なら・・・」

筑紫の兵500人を付けて~送り返した。

クーデターによって「武寧王が百済国王に」⇒「三韓平定と言えなくも無いですね??」

そして「弟の純陀太子が和氏」~蘇我馬子が「嶋臣」
聖徳太子や蘇我馬子が「百済~隋・唐オンリー」  www

百済滅亡~百済国民が日本に移住(百済軍人も・・・)
桓武天皇や桓武平氏(倭君)が急速に台頭した理由?!


<<宇佐神宮>>  呉(越)系でしょうね?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE

西参道途中、屋根のついた神橋。鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。県指定文化財。

8月8日の記事

<<筥崎宮>>  楚系(呉・越~)でしょうね?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%A5%E5%B4%8E%E5%AE%AE

大分宮からの移転

8月8日の記事

青銅器の鳥居に石灯篭+朱色の鳥居だから・・・

8月8日の記事

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%85%E7%B1%8D

秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし
成人すると、身長が9尺(約207センチ)の大男となり、怪力を持っており、才気は人を抜きんでていたこともあって、(呉中の子弟はすでに項羽には一目置いていた。

劉邦は項羽を殺した者に対して領土をかけていたので、項羽が死んだ時、王翳が頭をとり、その他の部分の死体に向かって兵士が群がり、死体を取り合い、殺し合う者が数十人にもなった。故に死体は五つに分かれた。劉邦はその五つの持ち主(楊喜・王翳・呂馬童・呂勝・楊武)に対して一つの領土を分割して渡した。また劉邦は無惨な死体となった項羽を哀れみ、魯公の礼を以て穀城に葬った。

なお、項羽の死後、項伯(射陽侯)をはじめとして項一族はいずれも劉邦によって列侯に封じられ
劉姓を賜っている。項伯の子孫が宋の劉裕といわれる(『魏書』島夷劉裕伝)。

龍(劉)神・武神・・・(汗) 
鬼(神)~蘇民将来伝説
字は羽

女・子供には優しい・・・特に美人には弱い  ((笑い))

8月8日の記事


①呉の海神系(木造建築・船)
②越の農耕民系(青銅器)
③楚の武神系(鉄器・馬術)
*朱砂(水銀は秦の徐福かも??)

滅んだ順番⇒日本に来た順番?!


中国で国(王朝)が滅ぶ度に朝鮮半島~日本に亡命(逃亡=移住)
新しい文化や技術と共に・・・

>>徳川幕府の「鎖国政策」は「政権の安定=平和」をもたらしたけれど「技術や文化の革新が遅れた。」
一長一短ですね?!
「平和ボケ」⇒他国からの侵略を招き易いから・・・

<<韓国>>

http://biz-journal.jp/2017/08/post_20072.html

<<北朝鮮>>

https://matome.naver.jp/odai/2136125149694825501


>>1000~2000年経っても~変わらない  ((汗))

時間をいくら掛けても~結果は同じ
⇒なら早い方が・・・
やはり「朝鮮戦争の再開??」

秋の中国共産党の大会の前  ??
⇒習近平体制が代わりそうに無いから・・・
(変わりそうなら~待つ可能性もあるけれど・・・)

日本も影響を受けるでしょうが~「朝鮮人が全世界で差別~迫害」

日本に北朝鮮が核ミサイルを撃ち込んだら??
さ~日本は「アメリカに戦術核ミサイルを借りて」でも~北朝鮮を「焼け野原」にするでしょうね??
日本人の手でやると思いますね?!

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