2017年08月23日

8月23日の記事

<日本刀>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80

古来から武器としての役割と共に、美しい姿が象徴的な意味を持っており、美術品としても評価の高い物が多い。しかし失われてしまった刀も多く存在する。
古くから続く血統では権威の証として尊ばれていた。
また武家に関するものとして挙げられることもある。

その特徴は、「折り返し鍛錬法」で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。

推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば呉のまさび」と詠んでいるように、
この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていたが、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。
正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな)といった国産の剣も現存している。

刃金となる硬鉄を炭素含有量のことなる地金で巻き鍛造する製刀法は蕨手刀より見られるようになる。[要出典]

>>日本人のもったいない精神?~魔改造 ??

古い鉄剣(軟鉄)と硬い鋼を巻き付けて行く技法。
硬くても~折れにくい⇒鉄のハイブリッド  www
その技術は「和包丁にも・・・」

http://interestyou.info/nihonto.html

https://matome.naver.jp/odai/2135342333061479401

武器としての刀と美術品としての刀の両面を併せ持つ⇒日本刀独特の構造

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm

>>青銅器や鉄器は「農業・工業の生産性の向上」や「武力の向上」に大きく影響した。
その窓口が「朝鮮半島南部」

日本は鉄鉱石はほとんど採れないが~「貴金属は豊富に産出する。」
貴金属=鉄器⇒「貴金属は万国共通の通貨」

勿論、鉄鉱石の産出する場所や鉄器製造は「秘密の部分も多い。」
逆に「貴金属の産出する鉱山や精錬方法も・・・・」

砂鉄よりも~砂金の方が多い。
金を精錬するには「水銀が必要」
⇒灰吹き法よりも・・・

http://www.nikkei.com/article/DGXZZO38283780V20C12A1000000/

秩父金山・多田銀山・生野銀山・・・山師(山彦)  
山は神聖な場所・・・一般人は立ち入るべからず!!  (笑)
稲作に必要な「水利権も農機具も・・・」  (汗)


<<白村江の戦い>>

http://nihonshi.hatenablog.com/entry/battle-of-hakusukinoe

大国の唐と戦争⇒アホとしか言い様が無い。
(対アメリカとの太平洋戦争も・・・)

独立国として「対等に貿易」⇒それが日本の国是。
大国の中国に対抗するには「小国ながら~強国」を作る事が急務  !!
⇒「国の滅亡や奴隷は嫌。」

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<<海神族>>

http://www.honnet.jp/metro/rekisi/r225/rekishi44.html

 和歌三神とは和歌を守護する三柱の神のことで、一般的には住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂がそれにあたる。

ここで馴染みのない衣通姫は、「古事記」や「日本書紀」の中で絶世の美女とされ、その美しさが衣を通して輝くことからこの名が付けられている。
「古事記」では第十九代允恭天皇(在位・412~453年)の第五皇女とされ、「日本書紀」では允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・八田王女(やたのおうじょ)とされている人物である。


ニギハヤヒ(中近東系)と海神族(住吉三神)との混血  www

<<アレキサンダー大王>>

http://sekaishi.matomenai.info/post-0-4/

ギリシャの武神系・・・白人種の元

http://rocketnews24.com/2011/11/25/156452/






<<滝川クリステルさん>>  混血

http://rocketnews24.com/2011/11/25/156452/

良いとこ取りで~ちょっと違った感じ !!

住吉三神・宗像三女・大三島・・・

<<日本三景>>

https://rlx.jp/magazine/tohoku/10685.html

海部・・・丹後~丹波
ア波~阿波・安房・安土・・・??
イ波~伊和・伊勢・伊豆(土)・・・??
ウ波~宇和・宇土・宇治・・・??
⇒三神系

三ツ星・三つ葉・三つ巴・・・

<<三人官女五人囃子>>

http://www.hinaningyou.jp/know03.html

五人囃子・・・五芒星 ?
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<<神紋調査>>

http://www.genbu.net/sinmon/

動物の神紋を使うのは「ニギハヤヒ~ウマシマジのみ??」

[
動物が神の使い」


殆どが「延喜式以前の神社」~追加・合祀。


http://www.genbu.net/data/oumi/hyousu_title.htm

『和漢三才図会』には、祭神・大己貴命に七つの名があるので七社だとある。
七つの名は、大己貴命・大国主神・芦原醜男・八千矛神・国作大己貴命・大物主神・顕国玉神。
兵主神社二十一社一覧  (兵主大社サイトより転載)

社伝によると、兵主神は、景行天皇の御代、
皇子・稲背入彦命により大和国穴師(奈良県桜井市)に奉斎され、
近江国高穴穂宮への遷都に伴い、高穂の宮居近くの穴太(大津市坂本)に遷座。
その後、欽明天皇の御代に琵琶湖を渡り、現在の地に鎮座したという。

**稲背入彦命は播磨国造
姫路の兵主神

http://www.hiromine-j.jp/05kyusei/05kyusei-2ana.html

牛頭天王系・・・


こちらは西播磨~狩猟騎馬民族・鉄器集団
白国~新羅系・・・


http://www.genbu.net/data/nagato/iminomiya_title.htm

豊浦宮に新羅の塵輪(じんりん)の煽動で熊襲が襲撃。

皇軍苦戦の中、仲哀天皇自ら弓矢を取って、塵輪の討ち、熊襲を撃退した。
戦勝を祝い、塵輪の屍の周りで踊りまわったのが「数方庭」の起源。


<<法道仙人と牛頭天王>>

http://douman.fc2web.com/harima1/kozutennou-houdousennin6@.htm

このように考えると、牛頭天王は吉備氏と共に印南郡から播磨の明石に来て、やがて印南郡、飾磨郡へとその中心を移動させていったことになる。
そのところへ、印南郡の北、法華山一乗寺へ法道仙人伝説を持つ人々がやってきて活躍を始めた。そして徐々にその勢力を拡大していった。
なかには法道仙人の勢力と結合して活躍する牛頭天王を祭祀する人もいた。
これが法道仙人と牛頭天王の関係を語る話となる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/49/2/49_2_696/_pdf

**空海と法道仙人

http://www.受験日本史.com/category5/entry175.html

白村江で敗れると百済人や倭人兵などが一気に西日本に逃げてきました。
唐や新羅がいつ攻めてくるかわからないため、倭の王権は急いで備えました。

翌664年の2月、中大兄皇子はさっそく甲子宣とよばれる改革を行いました。それは王権の氏に対する支配を強めるとともに冠位の数を増やすことでさらに多くの中央豪族を役人にして大王の命令に従わせようとするものでした

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367142373?__ysp=55m%2B5riI546L5rCP

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E7%8E%8B%E6%B0%8F

<<高句麗>>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97

高句麗(こうくり、ハングル:고구려、朝鮮語:Goguryeo [koɡuɾjʌ]:コグリョ、紀元前37年 - 668年)または高麗は、現在の中国東北部の南部から朝鮮半島北中部の、ツングース系民族による国家[1]。最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。三国時代に新羅や百済と共に朝鮮半島を割拠し、隋や唐等の中国王朝や倭国と勢力を争った。

疲弊と内紛の後に668年に新羅と唐の連合軍に滅ぼされるまで、高句麗は東アジアにおいて強い影響力を持つ帝国であり軍国主義国であった。

好太王(こうたいおう、374年 - 412年)は高句麗の第19代の王(在位:391年 - 412年)。

姓は高、諱は談徳。先代の故国壌王の息子で、386年に太子に立てられており[1]、先王の死とともに辛卯年(391年)に王位に就いた。

鮮卑の前燕の攻撃を受けて衰退していた高句麗を中興し、領土を大きく拡張した。
好太王の名は、好太王碑文によれば正式な諡は國岡上廣開土境平安好太王といい、韓国では広開土王または広開土大王とも呼ばれる。在位中に永楽という年号を使用したので永楽大王とも呼ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E6%85%95%E6%BC%B1

『三国史記』や『三国遺事』[1]によれば、解慕漱は天帝の子であり、五龍車に乗って紀元前58年に訖升骨城に降り立ち、北扶余を建国した。
解慕漱は弓の名手で優れた戦士であり、 自らの王国である北扶余の多くの敵を征服したという。

解慕漱と中国の河伯の娘の柳花夫人の間の息子に解夫婁と朱蒙がいた。
この朱蒙は高句麗の伝説上の建国者である。西鴨緑人の高豆莫汗(中国語版)を東明(朱蒙)とみなす意見もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BC%AF

人の姿をしており、白い亀、あるいは竜、あるいは竜が曳く車に乗っているとされる。
あるいは、白い竜の姿である、もしくはその姿に変身するとも、人頭魚体ともいわれる。

日本では、河伯を河童(かっぱ)の異名としたり、河伯を「かっぱ」と訓ずることがある。
また一説に、河伯が日本に伝わり河童になったともされ、「かはく」が「かっぱ」の語源ともいう。

これは、古代に雨乞い儀礼の一環として、道教呪術儀礼が大和朝廷に伝来し、在地の川神信仰と習合したものと考えられ、日本の6世紀末~7世紀にかけての遺跡からも河伯に奉げられたとみられる牛の頭骨が出土している。この為、研究者の中には、西日本の河童の起源を6世紀頃に求める者もいる。

『西遊記』の登場人物の沙悟浄は、日本では河童とされるが、中国では河伯とされる。

**仏教を伝えたのが「百済では無く~高句麗の僧」

高句麗は仏教を強く推奨~百済と高句麗は同じプヨ族系  ?!

夫余が建国する以前のこの地には濊(わい)族が住んでいたと思われ、松花江上流の弱水(奄利大水、現拉林河)を渡河南進して夫余を建国する以前の慶華古城(「濊城」、周囲約800m、前漢初期には存在、黒龍江省賓県)も発見されている。

家系[編集]

わい族~鮮卑族⇒新羅~現在の朝鮮人。

http://www.nikomaru.jp/mobi/baekje2-5.html

 百済滅亡についで、唐・新羅連合軍は、668年に高句麗を滅ぼし、「三国時代」に終わりをつげたのです。統一新羅の時代がはじまったのでした。


また、遺民の一部には倭へ逃れた者もいる。例えば『続日本紀』によれば、武蔵国高麗郡(現在の埼玉県日高市・飯能市)は
高句麗の遺民たちを移して設置したとされており。
高麗神社・高麗川・日高市高麗本郷などの名にその名残を留めている。

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この時期の移民なら「日本人のDNAが、D型に成る事は少ないし、朝鮮半島にもD型が多く存在するはず?!」
⇒O型の弥生人の方だと思いますね??

http://inoues.net/mystery/jyofuku.html

「徐」家はかっての徐王国の末裔だった。その為に始皇帝から無理難題を押しつけられたが、又そういう名家の出身だか
らこそ、3000人の大集団を任せられる程の信頼が備わっていたのだとする。教授達は「徐福」の家系についても調査し、
彼の先祖は夏王朝の初期に「徐」に封じられた王で、子孫は代々長江(揚子江)、准河(わいが)、泗水(しすい)、済
水(せいすい)の流域一帯に栄えたと言う。つまり「徐福」は中国屈指の名門徐王の末裔という事になる。

暴虐な始皇帝の統治下から逃避しようとした民衆の集団脱出事件の例は他にもある。「後漢書」の「東夷列伝」に「辰韓
のある耆老は、自分は秦からの亡命者で、苦役を避けてはるばる韓の地に逃れてきたと言った。」とあり、
「三国志」に
も、「陳勝らが蜂起して国じゅうが秦に背き、燕・斉・趙の民衆で朝鮮に逃亡した者は数万人におよぶ。」とあるように、
秦の暴虐から生き延びようとすれば民衆は浄土を求めて海外へ脱出するしか道がなかったのである。
当時いかに秦の圧政が凄惨なものであったかを物語る。

>>徐福⇒不老不死の薬を求めて・・・方士

そして、句呉の太伯=丹生都姫(大日姫・稚日姫)
⇒水銀鉱床を求めて・・・

<<通い婚>>

http://wanderlustwire.com/2016/08/09/%E3%80%90%E6%B5%B7%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E3%80%91%E4%B8%80%E5%A6%BB%E5%A4%9A%E5%A4%AB%E5%88%B6%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%B0%91%E6%95%B0%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%80%8C%E3%83%A2/

男は美女を求めて^各地をウロウロ・・・  (笑い)
そう言えば~ニニギもニギハヤヒも各地をウロウロ・・・

気に入った土地に、宮(神社=家)を建てて~祭祀を司った。
その祭祀の長官が「天皇では??」⇒祭祀氏族の長

ウマシマジは物部氏の祖。
祭祀の長と軍事の長。

神無月⇒各地の神様が出雲に集まって来る(里帰り?親睦会?勉強会?)

>>天智天皇と中臣鎌足が「唐と新羅に大敗した。」~外敵の侵入の危惧 !
国家統一と富国強兵策の必要性が出て来た。
まぁそれまでは「国内の各豪族の権力争いでしょうね?!」⇒神話「各豪族の王権の正当性。」

各豪族に官位を与えて~中央集権化。
「日本書紀」「古事記」の編纂。
戸籍の編纂。

その時に文化の進んでいた百済の移民が、西日本で官僚(役人=公家)に多く登用された?!
少し遅れて滅亡した高句麗は日本海側~東日本へ・・・?!


>>官僚が住む都が必要に成った。
そして人数や規模が大きく成って行った。
藤原京や平城京~平安京  ?!

まぁ百済系の官僚が「自分たちに都合の悪い話はカット」
⇒良くある話だと思いますよ??


http://www.sankei.com/life/news/170506/lif1705060003-n1.html

だから、ユダヤの三種の神器が日本にあって~今なお埋もれていても、不思議でも無い様な??
落とした財布が戻って来るような国
東洋のガラパゴス島   www

http://sekainoura.net/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8%E3%81%8C%E6%8F%83%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%89.html

http://uchunotane.com/%EF%BC%93%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%87%B4/

<<真名野長者 伝説>>  これも黄金のマナの壺??


https://ugaya.jimdo.com/2013/08/04/%E7%9C%9F%E5%90%8D%E9%87%8E%E9%95%B7%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%A8%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90-%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%A4%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E3%81%AE%E5%AF%86%E6%8E%A5%E3%81%AA%E9%96%A2%E4%BF%82/

例えば、物部守屋が大分まで攻めてきたとき(577年)、どこからか「山王様」が現れて撃退します。

このとき、山王様は「天竺、唐土、日本の三国を守護している山王様とは我のことなり!」と告げています。

つまり、山王様は仏教にも関係していた、あるいはお釈迦様の生まれ変わりである可能性が高いということです。

そして、この山王様は、真名の長者の守護神であり、いまでも深田の里には「日吉神社」があります。

<<日吉大社>>

http://www.genbu.net/data/oumi/hiyosi_title.htm

神功皇后の血統でしょうか?

>>何回も出ていますが・・・

http://www.genbu.net/data/kouzuke/nukisaki_title.htm

『神道集』では、当社・貫前神社の祭神は、女神であったとし、
南天竺狗留吠国の長者・玉芳大臣の五女。

また、一之宮であった赤城大明神が、
財の君である、この女神を他国へ渡してはならないと、
女神に一之宮を譲ったという。
さらに、赤城神が絹機を織っていたが、絹笳が不足したが、
この女神から借りて織り上げたとも

当社の西方に荒船山(荒船神社)があり、東方には小舟神社がある。
小船神社は、当社の祓戸とされ、東西のライン、荒船-貫前-小舟が女神の系譜。

当社の本殿には「雷神小窓」という緑色の雷神を描いた窓があり、
南方の稲含山(稲含神社)の方向を向いている。
また、北方には咲前神社があり、前宮・鷺宮とよばれている。
いずれも経津主神を祭神とし、南北に武神・雷神のライン、稲含-抜鉾-咲前が存在する。


>>ニギハヤヒ~ウマシマジ=物部氏の始祖。
祭事の長と軍事の長。
物部(弓削)守屋・・・((紀州系??))~破門??

http://www.genbu.net/saijin/kaguyama.htm

『先代旧事本紀』では饒速日命の子となっており、天火明命=饒速日命とする。
饒速日命に従って大八洲国に降り、紀伊国熊野邑に坐した。

⇒紀州系の物部氏(ニギハヤヒ~)と蘇我氏の権力争い。
播磨系の物部氏(ニギハヤヒ~ウマシマジ)とは良好(=物部守屋の妹と結婚)
⇒紀州(大日姫系=姉)、播磨(稚日姫系=妹)

<<吉備真備>>

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/makibi.html

>>もう一度「ダモクレスの剣」

https://matome.naver.jp/odai/2144153007845521101

もしあなたが美人でお金持ちの奥様がいて~そこそこ地位があれば
「韓国の大統領に成りますか?」

http://www.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/yukaritimap/okenomiko.html

一般庶民が全て不幸で、天皇・王族は必ず幸せだと思いますか??

王族として~殺したり、殺されたり
いつ背中から刺されるか?毒殺されるか?
政略結婚~人質
贅沢で華やかな暮らしの代償が「自由が無い~何時殺されるか?」

http://bushoojapan.com/tomorrow/2015/12/19/65692

まぁ流石に奴隷は嫌ですが・・・

https://blogs.yahoo.co.jp/today_everyrain/64900212.html?__ysp=6aGV5a6X56We56S%2B

まぁこの2人も実在を危ぶまれている天皇 ?!

でも逃げて来た場所が~ほとんど同じ邑(国)って良いぐらいの場所 ??

http://www.geocities.jp/engisiki/harima/bun/hrm460102-01.html

<<穂積氏>>

http://blog.goo.ne.jp/reizan2007/e/f1c662970222e2d27f720ba9d604d65d

神武天皇が橿原宮で即位された時の皇后はウマシマジさんの妹・・・・。
 これはニギハヤヒさんの統治権をウマシマジさんから神武天皇が継承されたということで、大和朝廷成立に関わる重大な事柄?・・・・。


http://www.diycc.info/taki/n/n293_307.htm


 穂積氏の祖はウマシマジ命である。

ウマシマジ命は物部氏の遠祖であるニギハヤヒ命の子で、母は長 髄 彦の妹である。
 古事記によれば、神武天皇が長髄彦を攻めたとき、ウマシマジ命ははじめ天皇に反抗した。
しかし、のちに長髄彦を殺して天皇に帰服した。そして、天皇が国内を平定して即位してからは、皇城守護に当たったという。

 熊野山略記にいう孝昭天皇は神武天皇の四代後の第五代天皇である。しかし、この天皇の存在を歴史書は認めていない。
それほどに古いのである。
まして、ウマシマジ命となればもっと古く、神話と歴史の中間に位置する人物である。

 一方、穂積氏は前に記したように、漢の司符将軍の子とある


漢とは紀元前に中国に興った王朝名である。日本の歴史でいえば、倭人が漢の植民地であった朝鮮半島の楽浪郡に朝貢した時代である。

 熊野権現神官の穂積氏は我々には想像もつかない時間と空間の歴史を持つ。
穂積神社は、この最初の熊野神官の名を取って命名されたのである。
 私は穂積神社の社名の中に、熊野修験系の山伏であった権兵衛から脈々と受け継がれてきた誇り高い山伏の魂と悠久の歴史がひそかに込められているのだと思っている


http://www.genbu.net/saijin/umasimaji.htm

物部連、穂積臣、婇臣の祖。

http://www.genbu.net/data/kii/hongu_title.htm

山伏(密教系) 穂積臣 神官 
神紋は「八咫烏 三つ巴 」
元は将軍系(武神)

⇒どれも間違ってはいないと思いますよ?



住吉大社の裏紋(=女性)
ニギハヤヒ~ウマシマジが「鳥紋」=三つ足の八咫烏(カラスはウとも・・・)



ぼちぼち終わりに近づいて来ましたね  !!




中国や朝鮮半島で~「王権争いで、悲惨な目に合った王族や貴族」が
日本に逃げて来て「また王権争いの殺し合い  ??」
⇒「くだらない=ばかばかしい」「能ある鷹は爪を隠す」